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思いつきで書いています

見沼用水改造計画

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さて、前に書いた芝川埋め立て計画についで、その脇を流れる見沼用水について考えてみた。

見沼用水とゆうのは埼玉県にある芝川の両脇にある灌漑のことで、利根川から始まっていて、なぜが芝川の両脇を延々と流れている。

 この脇を自転車で走ってみたところこの工事にかかった労力はすごいものがあると感じた。

 なぜなら利根大堰から50KM以上にもわたって二重の経路を通して引かれている のだから。合計すれば100KM以上もの大工事だ。しかも途中にほかの川と交差しているのだけども、じつはこの灌漑は川の下をくぐっていたりする。これにはかなりビックリする。

 この工事をやり遂げた方々に敬意を表したいと思う。

しかし残念なことに、この見沼用水はあまり有効活用されているとはいいがたい。

なぜなら見れば見沼用水の水はかなり余っているからだ。

せっかく利根川から引いたのだから有効に使わなければもったいないし、

工事した人やほかの流域の方々にも失礼とゆうものだろう。

そこで考えたのがこの計画だ。

いっそのこと、この見沼用水にふたをしてしまってはどうかと考えた。

そうすればごみも入らないし、柵もいらずに上を歩ける。

側道もいらない。

しかしそうするとその土地が余るのでそれをなにに使うかだ。

そこでその真上に温室をたててしまい、苺でも植えればいいかと考えた。

土はプランタでも並べればよく、水は下から引けばいい。

あとは近所の人が交代で管理して、その分出来たものを分け合えばいい。

いろいろ街づくりについて考えてみるのもまた楽しい。

 

 

 

 

 

 

芝川埋め立て計画

別の記事「大河ドラマ」で川を眺めて考えたことがあって、この計画を考えてみた。

もし興味のある方は見てください。

それは川を埋めてしまおうとゆうことだった。

なぜかとゆうとこの埼玉県南部を流れる「芝川」とゆう川は、本当は川ではないからだ。

記事「大河ドラマ」で書いたことを簡単にまとめるとこの川には源流や源泉といったものはなく、街中でいきなり始まる。

昔はあったのかもしれないけれど、今は生活排水や工場排水だけで出来ている。

ようは魚なんぞ住めたものではなく、農業用水にも使えない。しかし水の流れがあり、柵があり、河原があり、両脇に道路があり、橋が何本も架かってたりする。

しかも鳥がその水を飲んでいたりする。

実に道路4本分ぐらいの長い広い土地を台無しにしているも同然だ。

これはかなり無駄なことで、いっそのこと川の中に土管でも埋めて排水を通して上を土でふさいでしまい、そのまま畑にして芋でも植えればいい。と考えた。

そうすれば柵も要らないし、道路も1本(もしくはなくてもいいかも)でいいし、橋も要らない。いろいろなものがいらなくなる。そして人を通せんぼしているものがなくなり万々歳だ。雨水が流れ込んでいるのかもしれないけど、そのみずはそのまま畑にでも流し込めばいい。

 実はこの川の上流には団地があり、川の上をふさいでその上に建っているのだけど、同じようにしてしまえばじつに効率的だと思う。

 あとは下流の溜池は、荒川の水を溜められるようにしておけばよく、排水は出来れば浄水して溜池にいれて農業用水にでもすればいい。

 

 よくこの川の流域全体を見てみて、実にもったいないことをしていると思った。

土地や税金をもっと効率的に役に立つようにみんなで考えるべきだと思う。

 

 

 

 

麻雀の話

私は大の麻雀好きで、以前はよく麻雀を打っていた。

麻雀ほど飽きないゲームはなく、大の大人でも一日何時間も毎日のように何年も打っている人がいっぱいいる。私は多くのゲームをやっていた人間なのだけど、これ以上飽きずに長くやったゲームはない。世界最高のゲームだ。

さて私はここ四、五年麻雀を打っていないのだけど、別の麻雀をやっている。

別の麻雀って何だ?と思われるかもしれないが、麻将とかでなくもっと別の麻雀だ。

それを書く前に麻雀牌についてふれてみる。

ソーズとゆうのは何だろう?これは竹(植物)だ。1ソーは孔雀の絵が描いて歩けど、

ほかはみんな竹の絵が描いてある。

あくまでこれは推測なのだけど、想像力を働かせてよんでみてはいかがだろう?

さて万子とはなんだろう?これは単純にお金のことではないかと思った。

単位は円だか元だかドルだかわからないけど、要は一万とは一万円札みたいなものかもしれない。

 さてピンズに行く前に、發についてだ。この字をよく見てみると、弓と矢だった。

ハクはなんだろうと思っていたのだけども、これは綿かもしれない。それとも麻か?

麻と孔雀をあわせて麻雀だ。

次にピンズについて考えてみる。これは筒と書くから水筒か皿かと思った。

もう一つ、幻の役満「大車輪」を考えてみる。

これはもしかして車両かもしれない。2ピンは自転車か?4ピンは自動車か?

これらはみんな生活で使うものだ。

花牌は春、夏、秋、冬とあり、これらは通常つかわない。

風牌はなんだろう?麻雀は東、南、西、北と進んでいくゲームだ。場も風も。

これはなんだろうと考えてみた。これは太陽かもしれない。ほかにはないがあるだろう?家ともいう。東家、南家。なんだろう?

 

中はいろいろと考えみたけれどわからない。赤で中って何だろう?どこかの国のことだろうか?なんかある光景が思い浮かぶ。

これらを考えて麻雀を打ってみたらいかがだろうか?

ゲームの中で手牌は自分の財産みたいなものだと思えばいい。そしてお金(万子)を使って車(ピンズ)を買ったり、竹(ソーズ)を打ったりして、お金(マンズ)を得たりする。ツモって切るのは交換みたいなもんだ。

さて私が今やっている麻雀で狙っている役は緑一色だ。国士ではなく。

 

 

 

 

 

移動をなくす

今まで書いてきた、ごみの問題、燃料の問題、川の汚染の問題、輸送の問題とさまざま

な問題があるが、これらを解決しようと思うと頭が痛くなってきそうだが、これらを一気に解決するほうほうがある。

そんなの無理だと思われるかもしれないが、実は簡単なことで、根源はひとつのことだったりする。それをとればいい。

その方法とは

「移動をなくす」

だ。

今の日本の社会ではみんな多くの移動をしている。学校にいったり、通勤したり、仕事でほかの会社にいったりしている。帰りに買い物をしたり、スポーツジムに行く人もいるだろう。そしての時にそれぞれ別の乗り物にのって、別の服を着て、別の道具を使っていないだろうか?

 1度一日に移動した場所や、使ったものをメモにでも書いてみたどうだろうか?

通常の生活で考えてみる。

 まず朝起きて着替える服だ。そして箸や皿やコップや歯ブラシ、スマートフォン、かばんなど多くのものを手にする。靴も。そして移動する。自転車?電車?自動車かもしれない。そして多くの移動をする。車や電車がなかった時代には考えられない距離を。

会社の中でも多くの道具を使うだろう。そして移動する人もいるだろう。

これらのことが、上に書いた多くの問題を生み出しているのだ。

これらを解決するほうほうはひとつ。移動をなくすことだ。

 通勤をしない。買い物にも行かない。スポーツジムにもいかない。

これだけのことで、多くのものを使わなくてすむ。

しかしこれを行うと生活するうえで、多くのものが不足してしまう。非現実的なことを書いているようだけども、昔の日本の生活はみんなそうで、通勤もない。買い物もない。

 今も多くの国の人がそうゆう生活をしている。

なにが違うか?それは日本の社会に圧倒的に不足しているものがある。それは生活に必要なものを自分で作ることだ。

家の周りに畑があれば、たいていのものは作れてしまう。食料も服も。

 燃料は足りないかもしれないが、それは生活を変えてしまえばよい。逆に今の日本の社会はあまりにも燃料に頼りすぎなのだ。これを変えればよい。

 だがしかし、これを変えるにあたって一つ大きな問題がある。それは土地だ。

これに関してもいろいろ考えてみた。これはた後で。

 

 

 

シエスタ

私が前にスペインに行ったときのこと。スペインは日本よりも空気が乾燥していて、のどが渇く。水を携帯しなきゃならないほどだ。しかし水を買う場所がなく、昼間歩いていて、あるバル(居酒屋みたいなもの)の前で何人かで座って休んでいる人々に水をもらったことがある。水をもらった人がもしこれを見ることがあったら、感謝します。ありがとう。

さて暑い国のスペインでは昼過ぎに休む習慣があり、これをシエスタという。

いい風習だ。タイでも夏の暑い時間帯には休んでいるらしい。

そのころ日本では何をしているか?会社勤めの人は、クーラーの効いた部屋の中で、背広を着て明かりをつけて、パソコンを使って働いている。日本人は勤勉だ。

しかし、これをやると多くの電気を消耗する。お金もかかる。暑い外を背広を着て歩いている人もいる。横を車がひっきりなしに走っている。なぜだろう?

 サマータイム制度とゆうのも日本でははやらなかった。

かくゆう私も、以前は背広をきて、部屋の中で働いていたのだ。わざわざ明かりをつけ、機械を使い、電気を多く使っていたのだ。

日本ではなぜこれを変えられないのだろう?

 それはお金を使う生活をしているからだ。

極論を書いてしまったが、何故かはまた後で書こうと思う。

1つ理由を書いておくと、お金は結局使わないと意味のないものだからだ。

 

早起きは三文の得

おはようございます。私は窓際で太陽の光のしたでこれを書いている。

早起きは三文の得だ。やってみるといいと思う。

今度のなくす無駄は食べることだ。食べないということではない。残さず全部食べることだ。

残してしまうとごみになり、食器も洗いにくい。お金も栄養分も無駄になる。

なんてことはない。きれいに全部食べればいいだけのことだ。これで川も汚れない。

これほどいいECOもないかもしれない。

 

今度は暖房についてだ。今日ではいろいろな暖房がある。ストーブ、コタツ、床暖房、エアコン。なにがいいだろう?

こたつは電熱器で密閉されているから熱が逃げにくい。エアコンは部屋全体を暖めるので熱効率が悪く、暖めた空気は上に向かうので、あまり効率がよくない。

床暖房は自分がいないとこも暖めるので、無駄が多い。

 私が考えた方法は「着る」だ。

部屋のなかでも薄手のジャンパーを着たりしている。ヒートテックの下着もいい。どこへ行っても暖かい。これで電気代もバリ下がりだ。

 今は窓際で太陽の光の下でこれを書いているので暖かい。

じゃあ、太陽が沈んだあとではどうすればいいのか?

答えは「早く寝る」だ。

布団の中に入ってしまえば暖かい。これが一番だ。

 

 

生活にかかる無駄をはぶく

普段の生活で行っている多くの無駄について考えてみた。

なぜならこれがお金の無駄になり、多くのごみを出して、環境を汚しているからだ。

環境を汚すということは、結局天に向かってつばを吐くようなもので、結局自分に返るものだ。だから変えなきゃならない。 

まずひとつは着るものについてだ。まずは靴下。洗濯で面倒なのは靴下で、畑仕事をした後はすぐよごれてしまう。これを時には一日に何回も変えたりしていた。

これをやめてみた。足を洗えばいい。

次にズボン。汚れが落ちやすいナイロン地のズボンをはくようにしてみた。

本当は革のがいいかもしれない。

ほかに変えたのは洗濯機を使わない。たらいを買ってきて風呂に入っているときに風呂のお湯で石鹸で洗うことにした。原始的とも思われるかもしれないが、そのとおりだ。

しかし昔のやり方だから、悪いといえるだろうか?私が思うに昔のやりかたとうゆうのは洗練されていて無駄がない。ごみを出さない。実際やってみれば、すぐ終わることだった。

 電気も使わない。高い機械も使わない。リサイクル料もいらない。水も少なくてすむ。これでお金を使わずにすみ、川も汚さない。

 ここで考えてみた。今は夜だ。電気をつけて書いているが、これもやめてみよう。

明日書けばよい。暖房もつけず寒いのは布団に入ってしまえばいい。

とゆうわけで、寝ることにした。

おやすみなさい。