美学をもとう
美学について書いてみようと思った。前に美学について考えみたが、長くたつと忘れてしまう。ここでまた考えてみた。美学とはなにかと。
なににでも美学はあるとおもう。例えば料理でも農業でも、スポーツでも建築でもゲームでも。
そのなかで、美学についての共通点はなんだろう?それは無駄をなくすことだ。
料理で煮物をするときに、水を多くするだけで、水、調味料、ガス、時間のすべてを無駄にしてしまう。焼き物でも、焼きすぎればこげて乾いて量がへる。油もおち、ガスも無駄にして、しかもおいしくなくなってしまう。
手順も大事だ。手順を間違うと、水や原材料を無駄にしたり、いろいろな器具や食器を汚して洗う手間を増やしてしまう。そして水を無駄にする。
切り方もだ。切り方を間違うと、食材を無駄にし、作業に時間もかかる。
加熱にも時間がかかり、大きさがちがうと一方加熱しすぎ、一方は熱が通っていないとなってしまう。さらに食べにくかったりする。無駄をなしきれいに無駄なく行うのが料理の美学だ。美学を持つことでかかる費用も出来る料理の量も大きく変わる。
建築で手順を間違うと、建材をおく場所がなかったり、車の出入りが多くなってしまったり、1度取り付けたものを外さなければならなくなったりする。
加工も建材を無駄なく切ったり組んだりしないと、大量のごみができてしまったり、二箇所とめればいいところを四箇所も五箇所もとめてたりとなってしまう。
運送にも美学はある。荷物の積み方ひとつでも、積み込める量が変わったり、崩れにくさも違い、取り出しやすさが変わったりする。
おろし方でも、車の止め方ひとつで大きく変わる。車からおろしてから運ぶ場所が遠くなったり、ほかの車や人の通行を邪魔してしまったりする場合もある。
ほかにも、帰りに荷台が空で帰るのと別のものを積んで帰るのでは、人件費もガソリン代も違ったりする。タイヤの減り方もだ。
ルートも取り方によっては別の車が同じような道を走っていたりする場合がある。
美学について思うのは、「シンプルイズベスト」だ。
それは内容をなるべく単純にすることだ。手順を増やせばその分作業が増え、道具やごみが増える。作業を複雑にすれば、その分道具が増え、ミスも増える。ミスがでれば、また時間がかかり、ごみも増えてしまい、人件費も増える。
美学のコツは「シンプルイズベスト」だ。
しかし美学とゆうのは、どこにも決まりがなかったりする。
マニュアルもない。
じゃあどうすればいいのか?それは考えればいい。
普段なにげなく行っている仕事や家事、遊びなどにしても、常に考えていれば、無駄は見つかるだろう。いつも疑問に思っている作業に対してでも、メモって考えてみれば、よい方法が見つかるかもしれない。
こうしろといわれてやっている人も多いと思う。こうするしかないと思い込んでやっていることも多いと思う。
考えることで活路は見つかる。
しかし行動しないことにはなにも変わらない。
大河ドラマ 最終更新平成29年3月5日 第5回 初回平成29年1月3日
まず初めに、この記事は終わらせるつもりがないので、延々と書くつもりでいる。
なので最終更新日をタイトルに入れた。書くたびに日付を更新していくので、
参考にしてください。
第一回
大河ドラマといってもこれはTVでやっている馬にのって鹿のつのの兜をかぶっているあれではない。
ドラマとゆうのは英語で実話という意味で、これから書くのは現実についてである。
なおなぜ大河なのかは読んでいるうちにわかると思う。
川とゆうのは昔から人の生活に多く使用されてきた。漁業、運輸、農業、洗濯などの生活用水など多くのことに使われている。
文明も、黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジブト文明と川のほとりから発生しており、川は人間とは切っても切れない関係にあり、川がないと人は生きていけない重要なものである。
第二回
ところが、今の日本の川にはなにがあるだろう?
私の家の近くにも川が流れているが、大変汚れた川で、魚などいない。
船も通らない。とても洗濯などできない。農業などにも使えない。
人の生活に川は重要なものだ。
汚れてしまっては、いろいろなことに使えなくなってしまう。
これは甚大な被害だ。ただ流れているだけで、河原には雑草が生い茂り、実に無駄な場所になっている。この川を見ると悲しく思い、もったいないと思う。
昔はきれいな川だったらしいから、なぜこうなってしまったのだろう?
この川がきれいであったなら、川から水を引いて畑にまくこともできた。
魚も捕れただろう。河原にいろいろ植えられたかもしれない。
この川を汚しているのは上流にある工場の排水だ。それだけではない。
生活排水も多く流れ込んで川を汚している。
もともと生活に使う水にさほど害のある物はなかったはずだが、今の生活では洗濯用洗剤を使用している。
ほかに有害なものに、漂白剤には塩素が含まれており、これも有害だ。
昔と違い、食器用洗剤も使っている。
これらはほんとに必要だろうか?食器などは水につけておいて、あとでスポンジでこすればたいていのものは落ちる。落ちにくい油よごれはお湯で流せばすぐ落ちる。
あとそれでも落ちないものは、へらなどでこすれば大抵落ちるだろう。
洗濯にしても、わざわざ全自動洗濯機で、洗剤と大量の水を使用してやらなくても、
風呂に入ったときに、風呂のお湯につけて、石鹸で洗っても簡単に落ちてしまう。
電気代も水道代も節約できて万々歳だ。
第三回
ほかに川を汚すものは、塩だ。料理で塩は欠かせないものだけど、川に流しているのは
煮汁くらいだろう。
これに関しては、煮るときに水をなるべく減らしたほうがよい。
そうすれば調味料もへり、ガス代も節約できる。そして残りは 飲んでしまえばいい。
ようはなにも考えないでじゃんじゃん使わずに考えればいくらでも思いつく。
私が前に引越しをしたときに、運べない洗濯機や冷蔵庫を処分したのだけれども、そのとき、ごみ処理施設で捨てることが出きずに、中古屋でも売れず、散々走りまわされたあげく、電機機器屋に持っていき、一つあたり5000円以上のリサイクル料を払わされたことがあり、大変頭にきたことがある。こんなことなら買わなきゃよかったと思う。
文化とはセンスだ。普段なにも気にせず大量の無駄を垂れ流していることに私は気づかなかった。そして生活をあらためてみようと思った。やってみればたいしたことでなく、ほんのすこしのことで生活は変わり、環境を汚さずにすむ。そしてお金も使わずにすむのだ。
また話が脱線してしまったけど、あまり気にしないようにしよう。
さて元にもどって、この汚れた川はどこへ行くのだろう?この川はえんえんと排水を集めながら大きな川に合流していた。
これに私は大変驚いた。
この大きな川は日本でも有数の川で、私の住む県の中心を流れる県の至宝といってもいい川だ。
こんなことをしてはこの川の下流はみんな汚染されてしまう。
この川を使って農業をしていた人の怒りはいかほどだろうと思った。
そしてこの川にいた魚やザリガニや貝などの生き物はどうなってしまったのだろう?
第四回
さてこの後、私はこの近くの別の川をさかのぼってみた。
川をさかのぼるのは面白く、子どもみたいに思われるかもしれないが、いろいろな事がわかりためになる。国のことを考えると見ておいたほうがいいかもしれない。
あることに気づくだろう。
この川はある鳥の名前がついていて、見かけは普通の川とあまり変わらない。
そしてさかのぼっていくと、鳥の姿を何度か目にした。あまり魚などいるように思えないのだけど、なにを食べているだろう?
やはり生活排水が流れ込んでいて、工場排水は見なかった。
そして見たものは、ある橋だった。橋の脇には角のついた虫の像が飾ってあって、
橋の名前もこの虫の名前がついていた。
そして驚くことに、太い水道管が橋の横にあり、大量の水が滝のように放水されていた。
みたとこ水はきれいに見えるのだけど、なぜこんなことをしているのだろう?
そしてその先は上を道路でふさがれており、見えなくなっていた。
地図をみるかぎりここが最上流なのだけど、ここには湧き水のようなものはなく、別の川から流れ込んでいるわけでもなかった。
これは自然の川ではなかったのだ。
もう一つ小さな川があり、この川は不思議なことにある建物から始まり北と南の2方向に分かれて流れていた。
私の住む町にある川はみんな自然の川ではなかったことになる。
私はあることを期待して川のことを調べていたのだけど、大変残念な結果だった。
第五回
私はこの前最初に書いた川の下流にいく用事があり、その帰りにその川をさかのぼりながら帰ったことがあった。その川の流れを見ると、なぜが北から南に流れているはずの流れがなぜが南から北へ向かって流れているのを目にした。これはなぜだろうと北に3KMくらい坂のぼってみると、また流れが逆になっていて、そんなことはあるはずないと思うかもしれないけど本当のことで、その答えはその手前にあった。それは川の脇にある1KM以上にわたるまるで湖のような大きな溜池だ。この池はその川の水で出来ているのだけど、その水が川に流れ込んでいるためだった。おそらく雨で水かさが増したときに溜まった水を水門をあけて逆に川に戻しているのだろう。しかしそのため池は汚れた川の水で出来ているので使いようがなく、とてつもない大きい敷地を汚れた水で占領している。
まったく持って理解できないものだった。
そして私は、この川をなくした方がいいと考えたのだった。
水の話
さて今度は水について書いてみようと思う。
この世で一番大事なものは何か?
お金か?愛か?それとも土地か?命か?信用か?
答えはこれしかない。水だ。
唯物的と思われるかもしれないが、いくらお金があっても物がなければ買うことができない。そしてお金とゆうのは使わなければなんにもならないものだ。
ふとTVを見るとやってたりする無人島生活で、お金があって何になるだろう?何にもならない。第一次世界大戦後のドイツのように、いくらお金があってもなにも変えないのだ。
実は先に書いたお金、愛、土地、命、信用はどれも形のないものだ。
ちょっと行き過ぎたので水の話に元に戻ろう。
地球のほとんどすべての物は水でできている。全部だ。
人も動物もほとんど水でできている。
草も、木もだ。食料品も、川も、海も雲も氷も雨も雪も。
土もほとんど水だ。水は貴重なものだ。
実は私は以前登山をしていたのだけども、登山に一番重い荷物は何だろう?
テント?寝袋?ピッケル?
答えは水だ。
生活する上で、人は思いがけないくらい多く水を使用していて、登山をするとこれを実感する。
山に沢があればよいのだけ、水場のない山で何日も滞在しようとすると大量の水を持って歩かなきゃならない。
何につかうか?まず飲み水、調理、食器洗いなどに使う。登山でなくても生活する上では、洗濯するのに使う。風呂にも使う。農業をしていれば多くの水を使う。
水はとても大事なものだ。
さて今の日本の生活では、ほとんどの水を水道に依存している。
普段はあまり気にせずどんどん使っているけれど、もし水道が止まってしまったら、どうなるだろう?風呂も入れない。洗濯もできない。ご飯も炊けない。トイレも流せないとなってしまうのだ。
米を研ぐ水や、風呂の水、洗濯の水などもっと考えて使ったほうがいいと思った。
私は今、風呂の水で、植物を育てている。
これを書いていて、米のとぎ汁も使おうかと思った。文化とはセンスだ。
日本の社会は、いろいろな資源を大量に費やして生活している。
レジ袋から洗濯の水から、ダンボール、どんどん捨ててしまう広告やら雑誌などの紙。
水もだ。電気もだ。
夜中に家中明かりをつけインターネットやってTVつけれ暖房使っていると、おびただしい電気を消費していることになる。夜の町を高いところから見ると、数え切れないほどの明かりを目にするが、これらはみんな電気で、発電所が化石燃料を燃やして酸素を消費している。
それよりは早く布団に入って寝てしまえば、ぐんと電気代も下がる。これもセンスだ。
移動もだ。車で通勤だ、仕事だ、買い物だ、旅行だと走っていれば、おびただしい燃料と酸素を消費し、お金を使う。
これに関してはまた今書こうと思う。水の話に戻る。
日本の社会は水道ているけれど、その水はどこからくるかとゆうと川だ
川は文明の源であり、川は多くの恩恵を与えてくれる。
川は絶対に汚してはいけないものだ。
謎の芋
私は芋を食べている。
なんだか私は食べてばっかりだと思われるかもしれないが、実はそうだ。
なんでそうなったかとゆうと最近、前にいろいろやっていたことを、かたっぱしからやめてしまったからだ。
それはあることを始めたためだ。
あることとゆうのはなにかは別の機会に書くとして、芋の話に戻る。
さて私が食べていたのは安納芋とゆう芋で、これをオーブンで焼き芋にした。
この芋は市場で買ってきたのだけど、蜜芋ですごく甘くておいしい芋だ。
焼く方法は、オーブンで焼いただけだ。
この安納芋は昔は見たことも聞いたこともなかった、謎の芋だ。まさに安納芋(unknowイモ)だ、
これだけ甘いなら、もっとはやってもよさそうなのだけど、いつどこからやってきたのだろう?
見た目はサツマイモみたいだけど、色が違いオレンジだか茶色だかで味も違う。
今度はこれを植えてみようかと思った。最近は植えてばっかりだ。
ドジョウは便利
最近ドジョウを飼い始めた。
実は前からドジョウを飼おうと思い、売っているところを探していたのだけど、
ドジョウはペットショップにもホームセンターにも売っていなかった、川にもいない、
どこで買ったのかとゆうとなんと縁日。そういえば昔はひよこやら亀やら金魚やら売っていたのだけども、いつの間にかなくなった。
結構高かったのだけども、ほかに売っておらず、手に入らないので思わず買ってしまった。探し回るよかは安いものだ。
昔はドジョウなんてどこの川にもいたのだけど、最近はみんな埋め立てられて、川にもいなくなってしまった。どこにもドジョウがいなくなってしまった町を残念に思う。
さて、ドジョウのなにが便利なのかとゆうと、生ごみを食べてくれる。
えさは釜のご飯粒でだとか、芋の皮やみかんの皮などだ。これを刻んでやっている。
ドジョウを飼うと生ごみが減って、そして後で食べられる。
ドジョウは便利だ。